Kanchanaburi(カンチャナブリ)の旅

こんにちは♪

 

今日はバンコクから西へ約120㎞、Kanchanaburi(カンチャナブリ)への旅をご紹介します!

 

皆さんは1957年公開の英・米合作映画「The Bridge on The River Kwai」(戦場にかける橋)<https://www.youtube.com/watch?v=RlC7XBayj0s>をご存知でしょうか?

 

第二次世界大戦中の1943年のタイとビルマ国境付近にあるタイKwai(クウェー)川に架かるクウェー川鉄橋ほとりの捕虜収容所を舞台に日本軍の捕虜となったイギリス軍兵士らと、彼らを強制的に鉄道建設に動員する日本人大佐との対立と交流を通じ、極限状態における人間の尊厳と名誉、戦争の惨さを表現した映画で第30回アカデミー賞作品賞を受賞しています。

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車での旅にはいつもABIDECK<http://okuruma.asia/rent/>を利用、日本語の電話一本で車手配が可能であり、一日かなりの距離を走っても3,000バーツ程度におさまります。中には英語を話せる運転手の方もいて、コミュニケーションに困ることもなく、我が家はいつも利用しています。この日はバンコク市街地からカンチャナブリ駅まで車で約2時間かけて移動。

 

カンチャナブリ駅にて切符を購入(短めのコースで一人100バーツだったと思う)、電車に乗りこみクウェー川鉄橋のSaphan Kwae Yai駅を目指しました。電車は少し懐かしさを感じる車両で乗り心地はそれほど悪くは無し。ゆっくり電車旅でも楽しもうかと思いきや、約5分程度で目的地についてしまい、子供たちが疲れる前に降りて橋の上を歩くことに。。。

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電車が通りすぎた後の線路を歩くこと5分、目的地のクウェー川鉄橋へ到着。立派な鉄橋ではありますが、かなり年季が入っている様子もあり、最初は橋の上を歩くのは少し怖かったのですが、みんな普通に歩いている様子を見て、次第に慣れてきました。橋の上からは豊かな水をたたえるクウェー川を眺めることが出来、約80年前の日本兵も同じ景色を見ていたのかと思うと少し感慨にふけってしまいました。

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歩いて20分程度かけて対岸まで歩くと橋から降りることが出来、川のほとりからクウェー川鉄橋の全景を眺めることが出来ます。美しいシルエットと年季に歴史を感じます。ちょうどこの周辺が捕虜収容所だったらしく、当時の様子を再現した建物等も見ることも出来ます。しかしながら、このあたりは日陰が全く無く、風も感じられず、兎に角暑い。。。子供たちが疲労していることもあり、このような過酷な環境で鉄道建設に従事した兵士に思い馳せつつ長居せずに来た道を戻りました。

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クウェー川鉄橋近くには日本軍の捕虜になり鉄道を建設した兵士の遺族らが設立したDeath Railway Museumと呼ばれる博物館あり、タイからビルマまでの鉄道建設や当時の収容所の生活の様子等を学ぶことが出来ます。また、建設中になくなった方々の墓地である100 Years Princess Mother Parkも同博物館に隣接しています。

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この泰麺鉄道はタイとビルマを結ぶ全長415㎞に及ぶ鉄道ですが、日本軍は救援物資輸送網として完工を急ぎ、本来5年かかる工事を1年3ヶ月で建設。連合軍の捕虜、タイ人、マレーシア人、ビルマ人等の労働者が駆り出され、栄養失調、伝染病(コレラマラリア)等、多くの犠牲者を出した。その数は連合軍捕虜15,000人、現地労働者30,000人にも及び、鉄道の枕木の数のように多いため、「枕木一本、人一人」と言われたとのこと。

 

これだけの苦労をして鉄道建設されたにも関わらず、これが1994年に決行され、およそ3万人が命を落とし、最も無謀と言われるインパール作戦に繋がることを考えると、改めて戦争とは何だったのかと思わず考え込んでしまいました。日本人は第二次世界大戦以降、戦争を経験していないものの、米国は今もどこかしらで戦争をしています。「平和」は当たり前に与えられるものではなく、人の痛みを分かる人々の努力によって作られ、維持されているものと実感しました。